2018年の初めに考える、「折り合いをつける」という言葉
2018年が始まりました。新しい年は、やはり何か新しくなったような気がするものです。
さぽうと21の学習支援室も、6日は目黒の教室が、7日は錦糸町の教室が、早くもスタートしています。
6日は恒例の「お餅を食べよう会」。「(いつの頃からか)お餅担当」ボランティアとなってくださった面々の手際良いリードで、おいしいお餅をいただくことができました。
皆さん、やっぱりお餅を食べると「元気」になるようです。みんな幸せそうに学習開始です。
今年も皆様、よろしくお願い致します。
さて、タイトルの「折り合いをつける」という言葉。
12月に発行された「さぽうと21のニュースレター」の巻頭記事で、当会の生活支援生、秋山強志さん(ベトナムにルーツのある大学院生)が書かれた文章の中にあり、ひっかかっていました。
こんな風に書いていらっしゃいます。
「さぽうと21は、しっかりと勉学に励み、自分が持つルーツとの折り合いをつけている人たちにめぐり合わせてくれました。」
「自分が持つルーツとの折り合いをつける」・・・言い得て妙な表現だと何度も読み返した部分です。
そして、年が明け、『手話を生きる』(斉藤道雄著、みすず書房)という本の中に、こんな一文がありました。
「ろう児とはだれか、ろう児はどう生きようとしているのか、ろう児には何が必要なのか、そのために親や教師、社会は何をすればいいのか。そのように考えつづけることが、ろう児という存在をそのまま認めることにつながるだろう。そこで欠かせないのが、ろう児をもっともよく知っている人びと、すなわちかつては自分もろう児だった「成人ろう者」と呼ばれる人びとである。彼らがつねに関与する形で、聴者と折り合いをつけながらろう児とともに歩むとき、ろう児は自分の主人公になるだろう。」
「折り合いをつける」という言葉は、「妥協して一致点を見出す」とか「譲り合って一致点を見出す」とかの意味ではないですね。
「譲り合いつつも、自身も気持ちよく納得して、双方に最大・最高の納得点を受け入れる」という感じ???
新年早々、迷走と妄想でスタートしています。