南三陸観光バス、高橋様へ
南三陸観光バス、高橋さん
あいかわらずお元気にお過ごしのことと存じます。雄勝から東京に戻り、まもなく1か月が過ぎようとしています。
皆それぞれ、雑事に追われる毎日ですが、冷たい風にさらされてふと雄勝の寒さを思いおこし、温かいご飯を食べて「普通の幸せ」のありがたさに感謝する、そんな日々を過ごしています。
お送りした皆からの手紙が無事にお手元に届いたとのこと、早速にお読みいただき、また、ご連絡いただき、ありがとうございます。
雄勝にもまもなく春が訪れますね。皆様、お元気でお過ごしください。
さぽうと21 学習支援室
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3月5日の雄勝ウォークから東京に戻り、参加した18名、お世話になった南三陸観光バスの高橋さんにそれぞれでお礼のお手紙を書きました。
今回、参加した18名のうち3名は、2011年の震災前後に、日本に暮らす父親の呼び寄せで来日した若者たち(当時は子ども)です。
3人には、それぞれの思いを日本語で記してもらいました。(彼らには、次回、雄勝を訪ねる際には、リーダーになってくれることを密かに期待しています。)
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私は2011年4月に来日しました。なので、東日本大震災についてはあまり知りませんでした。雄勝ウォークに参加して、自然災害の恐ろしさを改めて実感することができました。
語り手の方々は、あの恐ろしい想いを思い出すことはしたくなかったと思います。しかし、(私たちは皆さんのおかげで)津波を経験した教訓などを伝える大切さを知りました。
中でも一番印象に残っているお話は、雄勝病院の跡地で行われた看護師さんのお話です。一瞬にして長年勤めてきた病院、面倒をみてきた患者さん、一緒に働いていた同僚の皆さんを失った心の傷は計り知れないと思いました。
また、大川小学校を訪れた時、亡くなられた当時小学生のお父さんの話を聞いて、なぜ大人は愚かなんだろうと悔しい気持ちでいっぱいでした。救えた70人以上の命。もし生きていれば、私と同い年だと考えると、とても複雑な気持ちになりました。
この経験はとても貴重だし、忘れられない一日になりました。雄勝ウォークに参加して学んだことを、これからは自分の周りの人に語り継ぎたいと思います。(T)
毎年3月になると、2011年に起こった東日本大震災のことを思い出します。日本に来て間もなく、人生初めての地震にあって、びっくりしたことも覚えています。あの時は毎日のテレビやニュースや新聞などの記事が地震のことばかりでした。それらのマスコミによって地震後の津波や火災にあった地域のことも知ることができました。しかし、都内に住んでいた人には地震の被害は交通不便や食糧不足程度だったので、大きい被害にあった地域の人々ほど深い思いを抱きませんでした。
2017年3月4日にさぽうと21や南三陸観光バス会社の方のおかげで、石巻市雄勝町へ行って、震災後の復興事業を見学することができました。町中を歩きまわって、地震や津波を体験した方々からも話を聞きました。一度も想像したことがない状態や一度も体験したことがない地震の話を耳にすることができたのです。津波の直前に自分の親の命を救うのか、子どもの命を救うのか選ばねばならなかった母親の話に涙が止まりませんでした。そして。小学生の娘を亡くした父親が語った悲しい話にも強く心を動かされました。
雄勝町へ行って感じたことは、被災地はただの場所ではなく、人々の悲しい思いが詰まった場所だということです。東日本大震災が起こってから6年がたった今、ようやく震災の悲しみを感じたのです。そして、被災地がはやく復興してほしいと思いました。だから、雄勝町の語り部さんからもらった種をもっと多くの人々に配ることが私たちの役割ではないでしょうか。それが、被災地の皆さんが私たちにやってほしいことだと、強く感じています。(Z)
2017年3月4日に宮城県の石巻市にさぽうと21のみんなと一緒に行ってきました。行こうと思ったのは震災を実際に経験した方お2人がさぽうと21に来てくださって、自分たちが震災で出会ったことを話してくださったことがきっかけでした。震災が終わって6年たった今はどうなっているか、現地の状況や現地の方々の思いを実際に見たり聞いたりして実感したいと思いました。
私は東日本大震災が起きた時は東京にいました。そして津波がどのように来て、建物が壊されて、人々が犠牲になる様子をテレビの前に座って見ていました。そのときには、皆さん大変だったんだねと軽く思っていました。
しかし、石巻市に行って、語り部の人たちのお話を聞いて、その東京にいたときの気持ちは180度変わりました。語り部の方々のお話は涙なしには聞くことができませんでした。語り部の方々が自分たちの目で見て、自分たちの体で経験したことをその当時の気持ちで、そして心の底から出てきた雄勝弁で話してくださいました。その語り部の方々の気持ちと私たちの気持ちが一つになって、話を聞いている途中に無意識のうちに涙が一滴、一滴と流れててきました。
そのときに思ったことは、私たちは震災があったところとは遠い東京に住んでいて、6年という月日が過ぎて忘れかけていたということです。しかし、震災を実際に経験した方々は、何年経とうと当日のことを鮮明に覚えていて、決して忘れることはできないと、語り部の方々の雄勝弁を聞いているとわかる気がします。私もこのツアーに参加させてもらって、被害を受けた方々のため、一人の外国人ではなく、一人の同じ人間として何ができるか必死に考えるようになりました。
最後に私たちに石巻市のあちこちに行くときに必要なバスを用意してくださった南三陸観光バスの高橋さんに感謝したいと思います。本当にありがとうございました。(N)