支援生紹介:Nguyen Cong Huy さん
2025年12月03日(水) 支援生
『今につながる歩み』 Nguyen Cong Huy
私はベトナムで双子として生まれました。
幼い頃、母は日本へ働きに行き、私と兄はお婆さんや母の友人の家、親戚の家で育ちました。
11歳のときに兄と二人で日本へ渡り、母と再び一緒に暮らすことになりました。最初はすべてが新鮮で楽しかった日々を覚えています。
中学校入学当初はほとんど日本語が理解できませんでしたが、同級生が親切に接してくれ、学校行事などを丁寧に教えてくれました。
二年目には徐々に日本語が分かるようになり、友人関係も広がっていきました。
中学卒業後、先生の勧めで工業高校に進学し、建築を学びました。実習や製図課題に追われた、忙しくも充実した三年間でした。
高校卒業時点で、経済的に大学進学は現実的ではありませんでした。進学するには目的を明確にする必要があり、曖昧な動機は通用しませんでした。
当時の私は、大学進学の意義を十分に理解できていなかったため、いったん就職することを選びました。
ただ、将来大学に行きたいと思ったときのために、給与を少しずつ貯金していました。
こうして2014年に内装工事会社で施工管理の仕事を始めました。ある打ち合わせで、設計担当者の専門的な話に全くついていけず、
自分だけが蚊帳の外に置かれている感覚を味わいました。
その内容を理解したいと考え、建築の勉強をさらに続けて二級建築士免許を取得しました。
しかし実際の業務では高度な建築知識を使う場面はほとんどなく、大きな物足りなさを覚えました。
これをきっかけに人生を考えるようになり、日本では大学進学の有無でその後の可能性が大きく変わることを実感しました。
大学で新しい知識や人との出会いを通じて視野を広げたいと強く思うようになりました。
安定した収入を手放す決断は容易ではありませんでした。大学に進学すれば卒業時の年齢も高くなり、その後の人生やキャリアに不安がありました。
また、同級生が働く中、自分だけ学生でいることにも抵抗がありました。
それでも最終的には母の応援もあり、やらない後悔より、やる後悔が良いと考え、大学に進学する決心を固めました。
私は受験の経験がなかったので、本屋で高校の教科書を買いそろえ、仕事終わりに三か月ほど予備校に通い、受験勉強の雰囲気をつかみました。
教科書の内容は初めて見るものばかりで、新鮮で、わくわくした気持ちは今も覚えています。
その後は地元浜松に戻って受験勉強に専念し、2020年に山梨に来ました。人の多い場所で暮らしてきた私にとって、自然が豊かで静かな環境は大きな魅力でした。
受験費用や生活費で想定以上の出費がかさみ、大学入学後は生活費を貯金や奨学金でまかない、学費は免除を申請すれば大丈夫だと考えていました。
しかし、ちょうど自分の入学年から学費免除制度が変更され、高校卒業から二年以上経過した私は対象外となりました。
大学は誰にでも開かれているものだと思っていただけに、その制度は学び直しを目指す者に厳しく、大きな落胆を覚えました。
さらに、国籍や年齢の要件を満たさない奨学金が多く、応募できないものばかりでした。
やむなくアルバイトを始めましたが、学費をまかなうには到底足りず、出口は依然として見えてきませんでした。
大学2年の冬、あと一学期分の学費を払えるかどうかという切羽詰まった状況で、大学の掲示板でさぽうと21の生活支援プログラムを知り、すぐに応募しました。
支援が決まったことは大きな転機であり、もしあのとき支援がなければ、大学を辞めざるを得なかったと思います。
経済的支援だけでなく、さぽうと21には私と同じように外国にルーツを持つ人が多く、その存在が大きな支えとなりました。
自分のルーツをどう受け入れるか悩んでいた私にとって、彼らとのつながりは価値観を大きく変え、自分を肯定できるようになる大切なきっかけとなりました。
現在、大学院ではロボットを用いた多品種小ロット生産向け自動化技術の研究をしています。
既存の自動化技術の多くは大手企業の多量生産を前提としており、中小企業の多品種小ロット生産には応用が困難です。
私の研究は、人が勘に頼ってきた繊細な作業を自動化する基盤となり、中小企業の人手不足や技術継承の課題解決につながると考えています。
また、自動化が困難とされてきた工程や対象外だった領域にも応用でき、未開拓分野への展開も期待されます。
支援金は私にとっては給与と同じ意味があります。その責任を自覚し、規則正しい生活を心がけながら研究に取り組んでいます。
これまでの人生を振り返ると、ここまで来られたのは家族やさぽうと21をはじめ、本当に多くの方々に助けられてきたおかげです。
支えられたからこそ、次は自分が誰か困っている人の力になりたいと思います。
そして私が誰かを助け、その人がまた別の人を支える。そうして広がるつながりの一助となれるよう、これからも努力を重ねていきます。












