森戸規子さん

「自分を変化させる種を与えてくれる」

私は1949年生まれ、今年72歳で年女です。
2016年にさぽうと21でボランティアを始めました。とても親しい友人がさぽうと21でずっとボランティア活動をしていて、「生きていくために本当に日本語が必要な人たちに教えるのが私たち日本語教師の使命だ」と何度も言っていたので、私もいつかそのような気持ちで日本語教育ができるようになりたいと思っていました。
2016年は色々な意味で再出発しなければならない年だったので、絶好のチャンスと思い、さぽうと21で活動を始めました。
私は理系の大学を卒業しました。
理系に進んだのは、国語、英語、社会という学科がどれも苦手だったからです。つまり今まさに学習支援の子どもたちに勧めている読書やコツコツ勉強することが苦手だったのです。
それなのに、日本語教師という職業を結局45年も続けているなんて、とても不思議だし、いつもかなり恥ずかしさがあります。
私が何とか日本語教師の職を続けられたのは、日本語を上手に教えられるからではなくて、学習者の人たちに学習するエネルギーというか勉強したいと思う気持ちを充電する、そんな作業が大好きだったからだと思います。
いろいろな学習者に出会う中で、この人たちに対してこの授業の進め方は合うだろうか?いや違うなぁ、ちょっと変えてみようかとか、自分の中や他の教師の方たちと試行錯誤を続けているうちに、知らず知らずのうちに時がたってしまいました。
この学習者相手の試行錯誤の過程が自分にとって魅力のある作業だったのではないかと思います。
45年間の日本語教育を通じて知り合った学習者から教えてもらったことは数限りなくあります。
私の生きる姿勢の中心にあることばもなぜか彼らからもらったものです。
1つは、フランスからの留学生のことばで、「今いるところから逃げ出しても問題は解決できないよ」です。
もう1つは、韓国からの留学生のことばで、「起こった問題を綺麗にゼロに戻そうと考えないで、今可能な分量の解決策を受け入れて前に進みなさいよ」というようなものです。
一見矛盾しているように思えるかもしれませんけど、さぽうと21で活動していると、彼らの言葉の重みをいつも再認識させられます。
さぽうと21で出会った方たちに日本語や学習の支援をしていると、一般論が通じないことが多いです。その人たちの現実の問題にどれだけ自分がまともに取り組んで、いい方法を生み出せるかが勝負だという気がします。
でも、なかなか解決できない問題も多いです。
そんな中でつい欲張りすぎて全体のバランスを崩すのは解決から遠ざかることにもなるな、などと自分を戒めながら活動しています。
さぽうと21での活動は、自分の足りないところや思い込んでいることをどうやって変えていけるか考えたり、気がつかないうちに自分の中に蓄えられたものを自分が発見して使ったりというように、自分を変化させる種を与えてくれるようで、いつも楽しく苦しくやっています。
老いも若きも明日に向かって脱皮できるいい活動だと思います。

関連記事

  1. 「教える」よりも「学ぶ」ことの方が多い