さぽうと21 OB ・ OG 紹介

支援生OB 吉田 源一さん

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支援年度
2004年~2009年 生活支援生
つながる国・地域
カンボジア、ベトナム、中国
来日時期
1998年(14歳)来日
卒業校または専門分野
専門学校で社会福祉主事の資格を取得、その後、日産横浜自動車大学校で学び整備士の資格を取得

 

のびのびと過ごせた小学校~中学校

カンボジア国籍ですが、カンボジアには一度も行ったことがありません。ベトナムで生まれ育ち、さらにもともとのルーツが中国系だったので、家庭内言語は中国語の方言を使っています。親が難民としてベトナムに渡り、すでに日本にいたおばの呼び寄せで、僕が14歳のときに日本に来ました。日本語が全くわからないし、映画などで見た狭くてごちゃごちゃした「難民センター」のイメージが頭にあって、来る前は大丈夫だろうかととても不安でしたが、国際救援センターではごはんもおいしくて、先生や職員の方々がとてもやさしく、何から何まで丁寧に教えてくださったので、その後の日本での生活にそれほど不安を感じなくなりました。

神奈川県での生活を始めました。学校編入時になぜだかわからないのですが(おそらく母の希望で)、学齢より4学年下げて小学校4年生に編入しました。驚かれますが、体が小さかったせいもあり、あまり年齢の差や違いを感じることなく、好きなサッカーを通じて友だちもたくさんできました。友だちは家に来てごはんを一緒に食べたり、言葉がわからないのに映画を一緒に見たり、気が付いたら中国語の歌を歌っていたり、僕が家で話す言葉をまねて中国語を話していたり、みんな興味関心をもってくれて、とても環境がよかったなあと思います。

 

高校に入って感じた勉強の大変さ

中学校まではそこまで苦しいと感じることがなかったのですが、高校に入るころから大変になりました。学年を4年下げているという特殊な自分の経験を説明することが求められるようになりました。それから、勉強についていくのが辛い!と初めて感じました。同級生の多くが大学進学を目指しているような高校で、ついていくのに必死でした。おしゃべりが好きなので、日本語の会話で困ることはもうありませんでしたが、授業でわからないことは先生にいつも聞きに行っていました。

高校に入る前までは、サッカーやっているときの方が楽しいと感じていたし、勉強は好きではなかったけど、母が教育ママのような厳しい人で、勉強しないと怒られるので、成績を下げないように自分なりに努力しました。

 

夏期研修会でいろいろな人に出会って考えた進路

さぽうと21の生活支援プログラムには、日本に来たときからお世話になっていた方に薦められ応募しました。以来、専門学校の卒業時までお世話になりました。毎年、支援生が集まる宿泊型の研修会があるのですが、そこで、たくさんの人と出会うことができました。進路を考えるときになって、勉強はそこまで好きじゃないし、大学へ行く意味も目的もあまり見いだせずにいました。研修会で、先輩たちの経験を聞いたり、みんなで夜通し話したり、とても刺激を受けました。

 

高校に入ってから、福祉のボランティアをやっていたんです。学校の掲示板で見つけて、学校や病院、施設などに行って運動会のお手伝いをしたり、一緒に遊んだり、話し相手になったり、そんなことをしていました。そこでの経験がとてもよくて、福祉のことをもっとやりたいと思うようになりました。だから、進学するとすれば、資格のとれる専門学校がいいなと思いました。実は車もすごく好きで、整備士の技術も身につけたいと思っていました。そのため、4年大学に行くよりも、2年ずつふたつの専門学校に行くこともできるのではないかと思ったのです。

 

福祉の仕事は今後なくなることはないし、高校生の時から現場に少し関わっていたので、最初福祉の専門学校に行って、「社会福祉主事」の資格を取得しました。自分の好きなことだったので、勉強もおもしろかったです。卒業を間近に控え就職活動もしたのですが、ある会社の最終面接で国籍のことや、4年学年を下げて編入した小学校のことなどについて細かく質問をされました。1次、2次面接では手ごたえがあったのに、最終面接時になって、なにか外国人であることが不利だという雰囲気をそのときに感じました。そんなことがあって、もっと勉強して実力を認められ就職したいと思いました。

 

当時、いとこが通っていた日産横浜自動車大学は、文化祭に行ったり、いとこにいろいろと話を聞いて得た情報から、ここで勉強がしたいなと思っていました。全く異なる分野に挑戦することになりましたが、入試の対策は過去問を手に入れて勉強し、面接では車が大好きで絶対ここで勉強してこの世界で働きたいということをアピールするために、自動車のこと、会社の歴史などをとことん調べて、自分の思いが伝えられるように、母や弟を相手にして、たくさん練習しました。

 

ライバルの存在の大きさ

車の知識もあまりなかったので、工具の使い方を一から学ぶことからはじまりました。部品の名称を覚えたり、車の構造を覚えたり、タイヤの種類や構造を覚えたり、電気等の理系学科の勉強まで、新しいことを学ぶのはとても大変でした。悔しい思いを何度も味わいました。そういう思いをして、授業の学習以外に、自分で参考書を買ってノートにまとめるようになりました。授業以外で、自主学習でまとめたノートは2年間で30冊以上あります。そのときこんなにがんばれたのは、明確な目標をもっていたことと、良きライバルがいたからだと思います。お互いに張り合って、高め合って勉強ができました。だから、「いいライバルを見つけることが大事だ」と後輩にもいつも伝えています。

日産横浜自動車大学校はメーカーの学校だったので、いい成績をとることができれば関連会社に就職できることがわかっていました。だから、実力をつけて推薦で就職することが目標でした。卒業試験は、学年で唯一僕だけが学科実技ともに満点を取り、学年トップになって、日産自動車社長賞を受賞しました。

 

整備士として現場で就職して3年目になりました。今、楽しいというよりは、とにかく失敗をしないように、怒られないように、がんばっています。新人だから失敗するのはあたり前だと言われますが、自分は失敗をしないように頑張ることが大事だと思うのです。いくら考えても、失敗してしまうことはあるだろうけど、失敗はなるべく減らそうとする気持ちを常にもって、緊張感をもって仕事をしています。今の仕事を続けたいと思っていますが、ずっと先の将来いつかは、自分の会社で自分の思うようにできたら楽しいだろうなって思うので、独立して自分の会社をもてたらいいなと思います。

 

後輩へのメッセージ

目標をもって、あきらめない気持ちと努力する気持ちをもって何事にもチャレンジしてみてください!


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